日系企業が 人材競争力を失ったワケ

Authored by 井手 寛暁, 組織開発ダイレクター, パーソルコンサルティング 中国

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アジア各国で賃金水準が上昇

アジア各国では、毎年のように生活水準が向上し、モノの価格が上がる中、人件費も併せて上昇する流れにありました。昨今は、これが「上昇」から「高騰」に変わりつつあるというのが実情ではないでしょうか。

「CPIで賃金上昇をさせているのは、市場では日系ぐらいだ」
「CPIで賃金を上昇させるというのはもはや時代遅れだ」

これは最近、中国、東南アジアで報酬制度に関するコンサルテーションを行っている中で、各社のトップから聞かれた言葉です。実際に、市場では、CPI上昇に合わせてベースアップを行っているのは、組織階層の中でも下位層に限られるのが実態ではないでしょうか。(工場等の現場作業者は、各地の最低賃金に連動して上昇するケースが多いと認識しています。これも、アジアにおける賃金水準高騰の煽りを受けた事象だと考えます。)一般的な生活水準を担保できるだけの賃金水準に達した層以上では、CPI上昇による昇給は行わず、評価結果に応じてのみ昇給する。場合によっては、管理職クラスでは中位評価では昇給を凍結するといったものです。一方で、下位層に対しては、CPI上昇による昇給を実質的に残す、但し評価が芳しくない場合は昇給を行わない、といった措置をとっている、又はとりたいケースが増えているという認識です。

日系企業は報酬水準が低い?

こういった状況下で、やはり昨今よく聞く話は、「日系企業は報酬水準が低い」です。これもアジア各国で国を問わず、良く聞かれる話になってしまいました。過去には管理職クラスでは市場に劣後しているというのが共通認識でした。ところが、組織の下位層でも職種によっては劣後しているケースが増えているというのが実態ではないかと思います。例えば、開発技術者。当該地域でオリジナル商品の開発を行う、又は国を挙げて自国での開発がプッ
シュされる状況下で、開発技術者の争奪戦が起きているケースでは、日本的に全職種で同じ賃金テーブルを適用している場合、人材獲得競争に勝てないといったケースが散見されるようになりました。スキルを持った優秀な新卒者の獲得においても同様のことが起きつつあります。

報酬水準が劣後するに至った背景

少し乱暴な話をしてしまえば、背景として、バブル崩壊後に人件費を含めたコストを抑えることで生産性を向上させてきた日本株式会社の姿があるのではないでしょうか。生産性とは、結果(Outcome、しばしば財務的な結果)を、投入資本(Resource、但しコストとして認識)で割ったものとここでは定義します。日本株式会社は、多かれ少なかれ、生産性向上のために、分母のコストを抑えてきたのではないかと思います。特に、ヒトに関しては、投入「資本」ではなく、「コスト」として考えてきたというのが実態ではないでしょうか。それ故に、分子である結果を伸ばすために、どのような人的資本が必要で、どれほど投資をしないといけないか、という観点が不足していたのではないかと見ています。その結果、人件費の伸びをいかに抑えるかという観点でものを見てしまい、日本自体の平均賃金水準が徐々に国際的に競争力を失ってしまった。一方で、海外、特にアジアにおいては、なんとなくCPI上昇をさせたり、その都度の市場水準を参照したりしながら、賃金水準を伸ばしてきた。それが故に、アジア各国の賃金水準が日本本社の賃金水準に見劣りがしなくなってしまって、右往左往してしまうというのが背景ではないかと考えます。

人件費は投資=投資は選別して行う

日本国内では、「人件費=コスト」から「人件費=投資」と考え方をシフトさせる流れが来ています。2023年は株主への人的資本に関する情報開示が明示的に求められた最初の年であり、まさに人的資本元年と呼んでいい状況でした。その結果が、日本国内で2023年、2024年の春闘後に出てきた3.5%、5.0%程度の昇給率に表れているのではないでしょうか。

では、海外、特にアジア各国で市場競争力を失いつつある社員の賃金水準をいかに見直せばよいのでしょうか。一言で言ってしまえば、人材を選別して、上げるべきは上げるということに尽きるのだと思います。資本として、重要な人材にしっかりと投資をするという文脈であれば、そこに回答を見出すのが自然です。一方で、ただ単純な賃上げに終始していないか、資本としての優秀な人材の意味が不確かなまま賃上げをしているケースがないか、チェックが必要です。なんとなく報酬を上げてしまうと、せっかくの投資が無駄になってしまい、報酬水準を見直したにもかかわらず、投資リターンを会社が得られない、会社にとって必要な変化を起こせないという残念な結果になってしまいます。

選別投資を社員が理解してくれるか?

選別的に報酬の上昇を図る場合、社員側から見れば、違う景色が見えてきます。特にCPIでベースアップをさせてきた企業では、この変化が社員に及ぼすインパクトが大きいと言えます。社員側の期待値として、安定的に報酬が上昇し続ける、という会社との暗黙の契約が存在していたのだとすれば、なぜ報酬分配のポリシーを変えるのか、会社の経営層から明確なメッセージを発信することが必須です。具体的には、報酬制度の変更のみならず、報酬決定のツールとなる評価・昇降格の仕組みを同時に改定し、各人の職務やキャリアへの期待値をクリアにすることが重要だと考えます。この仕組みが、経営からのメッセージとして、組織に浸透するまでには、会社の中で泥ぐさいプロセスを、あくまで「前向き」に進める必要があるのではないかと考えます。

また、社員のマインドセットの変化を待つ忍耐も求められるのではないかと思います。人的資本は会社にとって最も重要な資本でありながら、最も変わりにくい資本であるという本質を認識しておく必要があります。当然ながら、その間に会社が傾いてしまっては元も子もないので、どれだけ待てるのかという期限は予めクリアにしておいた方が良いです。徐々に変化しつつある社員のマインド状況をエンゲージメント調査等の手法で数値化して見える化しておくことも大事だと思われます。

重要なのは、報酬等の仕組みを変えるだけでなく、経営がメッセージを発信し続け、足下の経営状況を共有し、会社の成長と社員の成長とを同期させるようなプロセスを計画的に実行する必要があると考えます。